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花原 和之 (はなはら かずゆき) とは何者か?

[最終更新] 2016/09/13: 岩手大学着任につき何か所か更新.

2004/05/17: 「エディタ(等)について」


計算機とかプログラム言語についての話は私の人となりを表すのに それなりに意味があるかも…と思ったりするのでこんなところに書いてます.

略歴

時期 出来事
1964年
(12月)
大阪に生まれる.
1977年
(4月)
吹田市立第六中学校入学.
技術クラブに所属. 電子工作に興味を持ちだす.
二年生の秋か冬だったかに, 実物のコンピュータと初めて遭遇.
初めてプログラムというものを (BASICで) 書いて日本橋の電気店の片隅に 置いてあった (当時はそんなもんだった) PETやBASIC MASTERで動かす.
1980年
(4月)
大阪府立千里高校入学.
理科研究部物理班というところに入る.
TK-80を相手にハンドアセンブルでプログラムを書く. RAMボードの増設というのもやった.
三年のとき, バイトして貯めたお金でZ80を使ったTK-80コンパチの 自作マイコンを作って簡単なロボットを動かす. この頃に培った知識と技術は現在非常に役に立っている.
1983年
(4月)
大阪大学基礎工学部機械工学科入学. ちなみに高校の進路指導室で資料を確認したところ, 学科の合格者最低点と自分の点数が等しかったので 合格者81人中81番であることがわかっている.
コンピュータ・クラブ, キャンピング・サークル, サイエンス・クラブに所属.
アクティブに活動しすぎたせいか, 三年生のときにクラブの先輩から紹介された プログラマのアルバイトがややハードだったせいか, 単に勉強が足りなかったせいか (←これが一番の理由か ^^;; ) わずか2単位に泣いて留年.
1987年
(2月末〜4月初)
入学時に公言していた, 「万が一 (当初はそう思っていた. 甘いですね ^^;; ) 留年したら一年間バイトして海外旅行に出かける」というのを実行に移し, 五十日かけてヨーロッパをうろうろする.
当初はそれだけ期間があれば十分かと思っていたが, 全然足りなかった.
このころから一人で旅行に出かけるのが趣味になる.
その後, 研究室配属では当初希望と異なる研究室に配属される…が, ここで修得した機械工作の技術 (というほどのものではないが) は 後々の研究に大いに役立っている.
1988年
(4月)
大阪大学大学院基礎工学研究科物理系専攻機械工学分野博士前期課程 (正式名称をフルで書くとこんなに長かった) 入学.
配属人数の関係もあって大学院進学時に研究室を移った.
この時の研究テーマがいわゆる適応トラスとか トラス型並列マニピュレータというもので, その流れの研究は今でもやっている.
1993年
(3月)
大阪大学大学院基礎工学研究科物理系専攻機械工学分野博士後期課程修了. 博士 (工学) の学位を取得. 学位論文のタイトルは「知的適応トラスの機構と動作」.

(4月)
大阪府立大学工学部航空宇宙工学科助手.
自己相似構造の工学応用関係の研究はこの頃から始めた.
1996年
(10月)
神戸大学工学部情報知能工学科講師.
2000年
(4月)
同助教授.
2004年
(3月)
第一種衛生管理者免許取得.
国立大学の独立行政法人化にともなってこういった免許を持っている人が 必要になる…らしい. 年齢層と研究分野からうちの学科で2名に白羽の矢が立てられて, 私が選ばれた. まさかこの歳になって受験勉強をするこになるとは思わなかったが, どうにか合格したのでやれやれ….
2007年
(4月)
神戸大学大学院工学研究科准教授.
2010年
(4月)
神戸大学大学院システム情報学研究科准教授.
2010年
(4月)〜
2011年
(3月)
フランス・INRIAのJ. P. Merlet博士の研究グループ (coprin)で, 滞在研究員として主としてパラレルメカニズムについての研究活動を行う.
2016年
(7月)
岩手大学理工学部システム創成工学科教授.

計算機について

とりあえずこれまでに私が触れたことのある計算機について書いてみる.

そろばん

言わずと知れた, 日本の伝統的計算機. 私は小学二年生のときから中学三年生まで珠算を習っていた. 珠算2級・暗算2級・珠算実務1級の資格も持っている──といっても, 能力のほうは今となってはかなりサビついていると思うが.

それだけ長くやっていたからか, 数を見ると習慣的にそろばんの珠としてとらえるようになってしまっている. 私の右の親指と人差し指が動いているときは暗算をしている時かも知れない….

PET, BASIC MASTER, Apple II

上にも書いたが, 中学生時代に日本橋で触ったことのあるマシン. 手書きのプログラムをキーボードの文字を探しながら打っていたのが 思い出される….

TK-80

高校時代のクラブ活動で使ったマシン. いわゆるワンボードマイコン. NECがトレーニングキット (だからTK) として販売したのに予想を超えて 売れた…という話を聞いたことのある人もいると思う. ユーザーズマニュアルには回路図とモニタのソースリストも付いていた.

ちなみに, CPUは8080A (NEC製の白い8080. 減算の十進補正が付いているのが インテル製とは異なる), クロック2.048MHz, ROM768B (メガもキロも付かない 「バイト」), RAM1KB. 入力インターフェースは16進キーボード, 出力は7セグメントLED8桁. テレビインターフェースTVD02と 過去の先輩が作った1600bpsのカセットインターフェースと3KBのRAMボード, それから我々の代が作った4KBのRAMボードを装備. プログラム言語はハンドアセンブルによる機械語….

6800マシン

高校時代のクラブ活動で作っていたマシン. アルミ製のシャーシにトグルスイッチを並べて二進数でプログラムを 入力していた. 出力も二進数対応のLEDなので, 自然に二進数に馴染むことができる!?というスグレモノ. 一応, テレビインターフェースも作って付けたりもしたが, 結局作って動作はしたもののあんまり使われなかった.

ARC-80

上の「略歴」にも書いたように, アルバイトで貯めた金を使って 高三のときに作った自作Z80マシン. "ARC"とは"All Round Computer"のつもりだったが, 実体は「何にもできないコンピュータ」だったような気がする. 基本的にTK-80のコンパチ. ROM4KB, RAM6KB, クロックは2.5MHz, パラレルI/Oが48bit (8255×2), だったかな…. キーボードは, 日本橋のジャンク屋で安売りしていた麻雀ゲーム機用のものを 組み合わせて16進キーボードにしたものなので「風」とか「牌」とかいう文字も 見えた. あとはカセットインターフェース (110bps) とROMライタ. ただし, ROMライタを使って書き込んだのはROMライタ制御プログラムだけだった ような気がするので, 作った意味はあんまりなかった….

ずっと母校 (千里高校) の物理準備室に置いてあって, 10年目くらいまでは動作を確認していたのだが, いつの間にか処分されてしまったようだ. せめて写真くらい撮っておくべきであった.

PB-100

カシオのポケコン. 画面が1行しかないが, BASICでプログラムが組めた. 共通一次対策の年号暗記プログラムに始まり (←今とやってることが変わらんな…), 大学に入ってからもちょこちょこ実験データを整理したりするのに便利に使っていた.

MZ-80K

晴れて!?大学生になったので中古で購入. 定価198,000円を40,000円で買ったんだったかな. 今でも実家の押入れの中にあるはず ──長い間火を入れてないので, 動くかどうかはわからないが. 実験のデータ整理とか, 設計製図の課題の力学計算とか, それなりに使い込んだような気がする. これにもROMライタを作って付けたりもしたんだが…やっぱりそれで焼いたのは ROMライタの制御プログラムだけだった….

シャープのMZシリーズの初代. NECのPC-8001と人気を二分していた. その当時の同程度のマシンとしては珍しく, ROMにBASICのシステムを持っておらず, 1200bpsのカセットインターフェースを使ってシステムを読み込むという構成だった. 実はBASICの開発が間に合わなかったため…という話もあるが, とにかく, このことから「クリーンコンピュータ」というキャッチフレーズで売られていた. CPUはクロック2MHzのZ80, オールインワンで, フルキーボード (というにはちょっと難があるものだったが), CRT付き (もちろんモノクロ). ROM (モニタ) が4KB, RAMが48KB…だったかな. カセットからのBASICの読み込みには3〜4分かかった (考えてみれば, 最近のPCも電源ONにして仕事ができるようになるまでには 場合によってはこのくらいかかるような気がするけどね…).

MELCOM

大学の情報処理教育センターにあった, いわゆる大型コンピュータ. TSS (Time Sharing System) 端末経由で情報処理演習なんかで使った. ここで使ったことがある言語はPascalとFortranだったと思う. スクリーンエディタが利用可能になったりもしたが, あまりにも遅すぎて使いものにならなかったので, みんなラインエディタを使っていた.

演習なんかではたしか課金1000円分の使用権が与えられるのだが, プリントアウトを多用すると結構課金を消費されるので注意する必要があった. ただし, こういうときには2台ほどあったテレタイプ端末を使うという手がある. どうせラインエディタでプログラムを書くんだし, 画面出力がそのまま紙に印字されて, プリントアウトの課金が必要ないからだ.

PC-8801, Apple IIe

大学2〜3年の頃のバイト先で, ソニーのビデオ (BetaMaxなんとか…だったかな) を コンピュータで外から制御する…というのをちょっとだけやっていた. 目指すところは映像込みのデータベースもどき…ではなかったかな…. ビデオの仕様書だか何だかの情報を参照しての 自作I/Oボードと機械語での制御だったので, Z80に加えて6502のハードウェアと機械語も少しいじった (6502を使ったのはあとにも先にもこのときだけ). 一応, ちゃんと動くことは動いたが, この計画はこの会社がなくなってしまったのでそれで終わりになった….

PC-9801シリーズ

つい少し前まで (といってももうずいぶんと昔か…) 我が世の春を満喫していたNECのかつてのベストセラーマシン. スペックも初代と最後では文字通り桁が違うくらい変化した.

このマシンはあちこちでかなり使った. 4年生のときの研究室ではキャビテーション現象の観測装置を作って使ったし, バイト先でも中心はこのマシンだった. 大学院の研究室で適応トラスを動かしたのもこのマシン…. ちなみに, 私がこれまでに書いた回路図の中で一番たくさん作られたのが 8255を二つ使ったPC-9801シリーズ用のパラレルI/Oボードで, 4つくらい作られた…かな.

U-Station

住友電工だったかが大学のコンピュータ系サークルに 無料で貸してくれる…というので, コンピュータクラブで借りたんだったと思う.  たしか当時の定価ン百万円…だったかな? MPUはモトローラ68000, メモリ容量は覚えてないが, ハードディスクは80MBだったと思う. ただし, これが設置されていたのは吹田キャンパスの建物で, 私がいたのは石橋キャンパスだったから, ほとんど触らなかった. ちょっとだけCをかじって, unixの基本操作を覚えた…くらい….

IBM5550

いわゆるIBM-PCの日本語版 (というとちょっと語弊があるが). バイト先でこれのワープロのファイル変換ユーティリティを 作ることになったので使用. 当時, PC9801をはじめとしてほとんどのマシンの漢字表示が16×16ドットだったのに, このマシンは24×24ドットで非常に見易かったことを覚えている.

ソードの何とかいうDOSマシン

バイト先でこれのBASICを使う仕事があったので使用. いわゆるMS-DOS風のDOSが載っていたが, どこか違う感じのするものだった. なお, このBASICは, インタプリタのくせに特定の操作 (わりと通常の操作なのだが) を すると確実にハングアップするというトンでもないシステムで, サービスマンに訴えたところ「操作ミスです」と言われたことを今でも覚えている. ちなみに, そのインタプリタに対応したコンパイラも付属していたのだが, こっちはこっちでコメントの量がある特定の範囲にあると コンパイルエラーが出るとかいう妙なふるまいをしていた. (この場合は (コメントを減らすと後々困ったりするので) 無意味にコメントを増やしたりするとコンパイルが通ったりした…)

Produce100

「卒業論文を自筆で書きたくない」という, ただそれだけのために買った ソニーの初代ワープロ. プリンタ着脱式でデザインもなかなか良かったと思う. しかし, 記憶装置は2インチディスクで, 他に追随するメーカもなかったので メディアの入手は少し困難だった. (このあたり, ベータの場合に似ているかも) ──だからかどうか, 「文豪」「書院」に太刀打ちできなくて, いわゆるワープロ時代の終焉を待たずに滅亡した….

ユーザインターフェースにはそんなにクセもなく, 使い勝手はわりと良かったと思う. ただし, 当時の私がローマ字で入力するとちゃんとキーを認識してくれなかった. それなら (自分も遅いし叩くキーも少ないし) カナで打とう…と思ったのが, 私がカナ入力をすることになった原因だったりする.

このマシンはいまもうちにあります….

Domain

大学院時代に愛用していたUnixワークステーション. 現在研究に使っているプログラムの基本的な部分はほぼこのマシンで作った. ウィンドウシステムやネットワークが独特だったが, 非常に使いやすかった記憶がある. このマシンを作っていたアポロはヒューレットパッカードに吸収されてしまった….

Titan

クボタの子会社のクボタ・コンピュータが販売していたんだったかな. たしかM2だかD1の頃に研究室にやってきた. 当時としてはかなり速かった. しかし質量もたしか200kgくらいあり, これの運搬の時にあやうく指がつぶされるかと思った…という記憶がある. このシリーズもいつのまにか滅亡したな….

Transputer

英国・インモス社のマイクロプロセッサ. プロセッサ自身が (当時としては) 高速の ネットワーク機能 (チャンネルと言った) を持ち, 並列処理に非常に適したアーキテクチャになっていた. Occamをネイティブに扱う…という特徴もあったと記憶している (私はもっぱらParallel-Cを使っていたが). 並列処理用プロセッサと言いつつ, 単体でも当時のそのへんのPCよりも格段に速かったため, 98なんかに挿す単なる高速演算ボードとして売られていることが多かったような. 私は気に入って (ちゃんと6台も使って並列処理で) 使っていたのだが, どうもいつのまにか滅亡してしまったらしい…. 根強いファンがいたらしいのではあるが….

PS-55note

D3のときに学位論文を書くために買ったIBMのA4ノートPC. CPUは80386SX, クロック16MHz, ハードディスク40MB, RAM6MBで FDDドライブは98の1.2MBのものも読み書きできた. OSはPC-DOS/V5.0だったかな. これはまだうちにあって, キーボードとバッテリがへたっているが, ちゃんと動いていた…が, 2012年頃に処分した.

Sparc Station

府大時代に使っていたワークステーション. 入っていたCの処理系がANSI非対応だったために非ANSIのプログラムを 作り続けることになった. こういうのは一回タイミングを外すとなかなか変えられないもので, 今 (04/04/01) に至るまで私は非ANSIの人である.

いわゆるPC

ほとんど説明不要. 上のPS-55note以来の付き合いで, いまこのページのhtmlを書いているのもこのタイプである. LinuxとWindowsのデュアルブートで使ったりしているが, どちらに関してもあんまり凝ったことはよくわからない (TeXとCの処理系と手頃なエディタと若干のいわゆるUNIXツール類くらいがあれば, あとは適当). 私はしかし基本的にはコマンドラインの人なので, Windowsの (X-Windowも) GUIはちょっと苦手. もし, いわゆるDOS窓がなくなったら, きっと途方に暮れると思う….

PIC

神戸大学時代に担当していた情報知能工学実験IIで使用. いわゆるワンチップマイコンである. 水晶発振子 (なくてもよいが), コンデンサ, 抵抗, 電源 (電池でも可) を付けるだけで, I/Oやらプログラム用のメモリやらも備えたマイコンシステムになるというスグレモノ. メモリ容量はともかく, 演算速度は (例えば水晶を使った場合は) 上に書いた 8080とかZ80と同等かそれよりも速い. 高校時代にこんな石があったら, と思う逸品である.
(しかし2016年現在, かなり時代遅れになりつつある…. 手頃なんだけどね)

ThinkPad T41p

長らく学会等での発表にはOHPを使っていたが, 最近ではこれだと肩身の狭い思いをするようになってきたので購入. せっかくなら出張先や旅先で原稿のひとつも書けるほうがいいし, それなら (カナキーが迫害されていない) A4ノートがいい, バッテリもせめて3時間はもってくれないと…とかとかを考えた結果, これにした. 先日の衛生管理者免許試験のときには暗記カードもどきプログラムを 作って実行しながら試験会場に向う…というあたりでも役に立った. ちなみに, 性能を上のPS-55noteと比べてみると…

質量同等 (2.3kgくらい. ThinkPadのほうが少し薄くて広い)
クロック 100倍 (16MHz→1.4GHz)
メモリ (RAM) 容量 100倍 (6MB→512MB)
ハードディスク容量1000倍 (40MB→60GB)
バッテリ稼働時間 2倍 ( (最大約) 2時間→4時間)
…といった感じだ. 10年でずいぶんとすごくなったものだ.
このマシンはフランス滞在中に予備機として活躍してくれた. 2016年に岩手に移る際に起動してみたら, 起動はした. さすがにいろいろへたっていて処分したが.

その後

ノートPCとかデスクトップとかを使っているが, 特記事項はないかな. つい最近(2016年8月)買ったノートPCのバッテリが公称では10時間持つというのにはちょっと感激.

プログラム言語について

これまでに使ったことのある (接したことのある) プログラム言語についての あれやこれや.

BASIC

とにもかくにも, 初めてプログラムなるものを書いたのはBASICだった. たぶん, 一番最初に実行したのはこんな感じのプログラムだったかと思う.

10 PRINT "HANAHARA"
20 GOTO 10
同世代!?の人ならこういうプログラムを店先のコンピュータに打ち込んでみた 経験のある人もいるのではないだろうか. インタプリタでもあるし, とっつきやすく, 短い (一画面分くらいの) プログラムを ちょこちょこと書いて実行する程度ならけっこう便利だったと思う. 長いプログラムとなると (オリジナルの仕様では) 局所変数が使えないとか いろいろとよろしくないものであったが. 方言というか派生版が山ほど出て, 「そっくりだけどちがう」という言語仕様もいろいろあったような. 今でもVisual Basicとやらが生き残っている…らしいが, 私個人に関して言えば, もう何年も使っていない….

機械語・アセンブラ

高校時代に使っていたTK-80にはハンドアセンブル (ニモニックの対応表を見ながら 自分で手作業で16進数の機械語に翻訳) でプログラムを書いていた. 今でも8080の (ということはZ80の) コードでよく使っていたのは覚えている (ザイログとインテルのニモニックはちょっと違うのだが, 実体は基本的に同じ (Z80が上位コンパチ) ). 例えばこんな感じ:

Address  Mnemonic     Code
8000     LXI H, 8200  21 00 82
8003     MVI M, 00H   36 00
8005     INR L        2C
8006     JNZ 8003     C2 03 80
8009     HLT          76
ちなみに, これは8200番地から82FF番地までをゼロクリアするプログラム…のはず. ハンドアセンブルしていると, 機能とコードの関係なんかが なんとなくわかってきたりして, 実は教育用としては意外と有用なんじゃないか…とも思ったりする. もっとも, 今となっては, そんなことは別に知らなくてもほとんどの場合問題ないのではあるが.

ちなみに, 私がアセンブリ言語を使ったことのあるプロセッサは 8080 (Z80), 6800, 6502, 8086…と最近のPIC16F84くらい…かな. あと, アセンブラで思い出すのは, 昔のMS-DOSのマクロアセンブラ・MASMを 使っていたバイト先の先輩が「何でこいつはCよりも型チェックが厳しいんや…. なんのためにアセンブラを使ってると思ってんねん」とかつぶやいていたこと. 最近の (でもないか. まあとにかくANSIの) Cは, 以前に比べてけっこうこのあたりうるさくなりましたね.

Pascal

大学2年のときの「情報機械学B」(だったと思う…) で課題のプログラム (デジタルフィルタもどき!?) を書くのに使った. …というか, それにしか使ったことがない…. いちおう, ひととおりのことはそのときに覚えて, おかげで!?アルゴリズム関係の本なんかを読んでもそんなに困らない程度にはなった. …ただし, ちゃんと使い込んでるわけではないので, 細かいところはかなり怪しい. いっときBorlandだかががんばって普及させていたような気がするけど, 現在ではどうなんでしょうかね.

FORTRAN

これも大学2年のときの「情報処理演習」 (だったはず) で使った. 基本的なプログラムは一通り書けるようにはなった…はず. しかしその後は特に使う機会もないままで…大学院の研究室で 先代のFORTRANで書かれたプログラムを見るまでは接点もなかった. 結局, そのプログラムを見て…しばらく悩んだ後に, 自分で一から作る (Cで書く) ことを決意したために, FORTRANを使うことはそれ以後もなかった….

C

最初にCに接したのは大学1年のときのコンピュータクラブの例会のときで, 当時M1 (だったと思う) の竹松さんの講習を受けたときだったかと思う. ちょこちょこと短いプログラムはたしかCP/Mの上の…BDS-Cだかで書いた…はず. あと, U-Stationでも短いプログラムは書いたかな.

まともに使うようになるのは, 大学3年のときのバイト先から. 4年生になって研究でもCでプログラムを書くようになってから今に至るまで, 基本的に特に制約が無ければプログラムはCで書くようになった. 書いた量では, たぶん, 日本語の次にたくさん使っている言語であるような気がする.

しかしC++に移行するどころか, いまだに (2004/04/27現在) 非ANSIの書き方をしているのは上にも書いたとおり. そろそろ過去の蓄積 (でこれからも使ってゆく可能性の高いもの) を ANSIに書き換えたりすべきかな…と思う今日このごろ.

LISP

MZ-80Kに雑誌に載っていたリストを打ち込んだ処理系で, 極々簡単なプログラム (ハノイの塔とか) を書いたりした. とにかく括弧だらけの言語…というイメージをその時に持って, そのまま….

Modula-II

バイト先でクライアントからの要望で使用. Pascalを作ったヴィルト (綴りはWirthだったっけ?) が作った言語で, 本当にgoto文を無くしてしまったカタい言語. そのカタさがCのいいかげんさに慣れた身には馴染みにくかったのだが, ある程度馴染んでくると, 意外と使いやすい言語ではあった.

カタさ故にコンパイルを通すまでが大変 (例えば, Cと違って, 値を返す関数を使ったら必ずその値を使わないと コンパイラが文句を言うとか) だが, 通った場合にはかなりまともなプログラムになっている──という特徴もあった. Cのプロトタイプをよりカタい形で実現していた…と言えるかも.

カタさ故に, 教育用には良い言語かなあ, と思っていたのだが… 現在ではほとんど見かけなくなったようだ.

Awk

プログラム言語というよりはパターン処理言語というほうが適当か. シミュレーション結果の数値をグラフ用に処理したりとか (こういうのはほとんど一行程度のコマンドとかでできるし) 便利に使ってる. 手元の住所録とか業績リストとか文献データベースも Awkスクリプトでの処理を前提として作っていて, このリストもちょこちょこっと 書いたスクリプトで簡単にできた. しかし, 最近はこういう処理にはPerlのほうが便利…という噂も聞く. Perlを触ってみてこういうのにも便利そうだとなったら, Awkの出番は減る…かも!?

(LATEX, HTML)

プログラム言語というわけではないが, 文法 (のようなもの) があるのでここに加えた. ──だいたい, LATEXの場合,「コンパイル」って言うし….

文書作成のときに, 両者とも基本が単純テキストファイルなので, なんちゃらワードと違って自分で作ったCプログラムとかAwkなんかのスクリプトで 好きなように加工できるのがよい. しかもそのためのツールはほとんどフリーだし.

しかし, LATEXに関しては, いまだにLATEX2.09で書いているから, こっちもそろそろLATEXεになじまないといけないな…などと, 上に書いたANSI-Cの場合と同じようなことを考えている今日この頃である.

エディタ (等) について

これまでに使ったことのある (接したことのある) エディタとか ツール (というか一部のユーティリティの類) についてのあれやこれや.

edlin

たぶん最初に (それなりに) 使ったエディタはこれになるかと思う (いわゆるBASICの編集画面をエディタと呼んでよければ, そっちが先だが…). そういえばMS-DOSのどのバージョンだったかのedlinにバグが有る…とかいうのが けっこう大きなニュースになった, という記憶もあるなあ. このエディタは (初期の) DOSに標準で付いていたので, 最低限何かができる…という程度の感覚では使っていたような. ──他のエディタをインストールする前とか, 普段使っていないマシンを使う場合とか.

いま, ふと思いついてうぃん×Pのコマンドプロンプトでedlinを起動してみたら …なんと, あるにはあった!!

edlin [ファイル名]
で起動できます. 起動したらヘルプが「?」で見られるので, 昔の苦労を味わいたい人は遊んでみてもいいかも知れません.
(うぃん7になって滅亡したようだ)

vi

大学3年のときのバイト先で使い始めて (実はその前にU-stationでも 接していたのだが, あんまり「使う」というところまでいかなかった) 今にいたるまで, たぶんもっとも長く使い続けているエディタ. 他のエディタに比較してひじょーにクセがあるが, 文章書きはともかくとして, プログラムを書くのにこれほど適したエディタはない, と個人的には思う. ──ちなみに, HTMLを書くのにも便利で, ここのページは概ねこのviで書いている.

とにもかくにもunixを名乗るシステムならほぼ確実に使えるので, エディタ難民にならなくてすむのもメリットか.

wordstar

学生時代に最初に英語の原稿を書くのに使った英文ワープロ. どのバージョンだったかから付いていたシソーラス(thesaurus)機能が けっこう便利で, それ以来, 辞書として別に購入したシソーラスを愛用するようになった. 長らく英文ワープロの世界に君臨していたように思うのだが, いつの間にやら見かけなくなってしまった.

Vz

たぶん (今のところ) viの次に使い込んでいるエディタ. ──といっても, 一部の人々ほどの熱狂的なものではないのだが. ついこのあいだ, うぃん98の時まではDOS窓で特に問題なく使えていたし, これで特に不自由もしていなかったのだが, うぃん×Pではあんまりまっとうには 動作しなかったのでついに使うのをあきらめた. しかし, 次の「秀丸」をVzモードで使っているので, しみついたキーバインドはそのまま使ってゆくことになりそうだ.

秀丸

現在の (プログラミングとかHTML以外の側面での) 主力エディタ. まだ「使い込んだ」というほどではないので評価を云々するつもりはないが, わりと便利だと感じてはいる.

(番外編) いわゆるワード

仕事上使わざるを得ない場面があることもあって 手元のPCにもインストールされているものの, 最も使いたくないソフトウェアといっても過言ではない. ちなみに, 実はエクセルもあんまり好きではない──ので, この両者は極力使わない. ひょっとすると使い慣れればそれなりなのかも知れないが, 以下に書くようなこともあってそれまでに人格破壊されそうな気がする….

何が嫌いかというと, まず, デフォルトの設定がタコ. (C)と入力しようとしていたら, どうやっても○にCのいわゆるコピーライトマークになってしまうのだった (これはエクセルでも起こる). あと, 単独で`i'と打つと勝手に`I'に直すとか…. これを止めるにはなんとかをなんとかすればいいらしいが, 逆だろう? 使っている人が慣れてきて高度な使い方をしようとして そういう設定を後からオンにするものであって, デフォルトでそんなことにしていてどうする!! 勝手にしなくていいことをするなよ. ちなみに, (C)の問題は仕方なく(C)と書いて(Cだけ全角のCにしたのだな)どうにか クリアしたのだった….

上に書いた以外にも, 無意味に巨大なファイルになるとか, セーブして開きなおすとレイアウトが勝手に変化するとかいろいろあるが, とにかくソフトウェアとしては巨大なだけで美しくない. ──もっとも, 過去の因縁がいろいろあるからそうなってしまっただけで, 元々はもっとマシだった可能性もあるのかもしれない. それに, 時々遭遇するタコなフォーマットのせいもあるだろうが. (これまでに遭遇した最もひどいものは, 昔の名残なのか升目を埋めるように文章を書くもので, 一升毎に文字を埋めていかないといけなかった. 例えば「フォーマット」と書こうとすると「フ」「ォ」「ー」「マ」「ッ」「ト」と 個別に入力しなければならない. まさに拷問)

そういえばフランスでお世話になっていたJ. P. Merlet博士も, 何かの書類でワードとかエクセルで書かなきゃいけないものがあったらしく, チーム内でのメールに 「ここは科学を研究する場所なのになんでこんなわけのわからないものを 使わないといけないんだ」という愚痴を書いていたりした. ある意味, 世界共通の悩みなのかも知れない.